阪神大震災から丸10年がたつ。なんと月並みな書き出しだろうか。そんなことはどうでもよい。
俺はその出来事の当日、姫路に住んでいた。おそらく震度4であったろうか。ごぉーという音とおもに目が覚め、しばらく布団で揺れを感じていた。
…まさか大惨事になるとは考えもせずに。
神戸から転入生がどんどん入ってくる、当時小学校5年生の俺には彼らの心の傷など推し量るべくもなく、黙祷もただ目をつぶるばかりで。
その年の3月転勤で転校する。地震とは関係ないが。その移動のときに神戸の街を通る。まだ電車も復旧してなくて、途中からバスで代行輸送だった。
バスから見える瓦礫の山、壁の剥がれ落ちたビル、ひび割れた道路。地震の傷跡を生々しく伝えていた。
だが、これだけ見ても人々の苦しい生活ぶりは推し量れなかった…
それは移動の速さのためか、俺の碧さのためか、乗り物という安全さのためか。
スマトラ島沖地震が連日報道される。人々は津波の驚異に好奇の目を光らせる。どんな惨状についてもだ。
津波の物理学的強度、地質学的・社会的原因、死者の数、経済的損失などに置換されて、安全な脳にわかりやすく伝えられている。被害者たちの慟哭よりも直感的で、刺激的なのだ。
あの人からメールが届いた。2日間も雨が続いた無関心の街東京。
「もっと心が寂しくなるじゃん、雨のせいで」
俺は仲間たちと飲んだ後だった。
「何か忙しいこと物事でも考え事でもとらわれればいい」
いかにも合理的な答えだった。
今日、晴れた空を眺めた。
俺はいつもどおりこんな答えでよかったのかと考えてしまう。
あの返事は自分にとってわかりやすかった。
でももっと、雨について語った返事を送るべきだった、と思うのである。
俺だっていつまでもバスに乗ったりテレビばかり見たりしているわけにはいかないのだ、お互い距離を縮めるためには。
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